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vol.239 山内信弥さん
PROFILE
Shinya Yamauchi
静岡県東海大学海洋学部水産学科卒業後、大学付属の海洋科学博物館で1年間深海性魚類の生殖腺の研究活動を行う。'98年〈アクアマリンふくしま〉に就職のためいわきに移住。'05年シーラカンス調査隊発足からメンバーとして活動し、現在、繁殖育成課副主任も務める。

幻の魚、シーラカンスを追い
生と死を見つめ、命と向き合う
■海の世界に魅了され水族館での仕事を志す
水族館へ足を運べば、そこは海の世界が広がり、その世界を覗くことができる。大きな水槽の前では、まるで自分が魚になったような気分に浸れたり、アザラシの愛くるしい姿に思わず微笑んでしまったり…。そんな日常を離れた特別な空間〈アクアマリンふくしま〉で働く山内信弥さんの幼少の頃からの夢は、生き物に関わった仕事をすること。
 大学で海洋学部に進み、海の世界に魅了され、水族館の学芸員を目指した。しかし、そのハードルは高く、初めての挫折を味わったのが就職活動だった。新卒での採用は断念し、大学付属の海洋博物館で研究生として深海魚の研究をしながら就職活動を続けた。研究生としての1年間の期間が終わる春のこと、「もうこれで落ちたら地元に戻ろう」そう決心して最後のチャレンジとして受けたのが〈アクアマリンふくしま〉。結果は見事105人中5人採用という難関を突破。幼い頃からの夢の実現へ、一歩を踏み出した。
↑バックヤードでタコにエサを与える作業を見せてくれた。同館ではバックヤードツアーも行っている
■世界中の海で幻の魚を追い求める
 〈アクアマリンふくしま〉オープンより前の1998年。まだ建物すらない環境で任された仕事は、水槽を満たすための魚集めや蓄養だっ
た。漁で捕れた魚を分けてもらうため、朝4時から地元の漁師の船に乗り込んだり、魚の種類によっては一昼夜船に乗ることもあった。目まぐるしく仕事に追われながらの日々を過ごし、2000年、無事オープンを迎えた。
 2005年には本格的なシーラカンスの調査が始まり、彼もその一員に加わった。現在までパラオ共和国・インドネシア・アフリカタンザニアで調査を行っている。シーラカンスは水深200mという海底に住み、その生態は未だ明らかとなっていない。現地ではROVという無人潜水艦カメラを海底に沈め、船の上からリモコンを使い、小さなモニターを頼りに遠隔操作をして「生きた化石」を探す。見つけるまでには日本には帰れないというプレッシャーを肌で感じながら、調査は2週間から長くて2ヵ月にも及ぶこともあるという。
 また、現在展示されているシーラカンスは、インドネシアの漁師がたまたま釣り上げ、食用にしようとした所を、奥さんがシーラカンスだと気づいたことから、発見されたという面白いエピソードのもの。調査隊の実績を高く評価しているインドネシア側が貸し出しに応じてくれ、今回、このいわきの地でも幻の魚を展示することに結びついたのだ。
 彼の次なる目標は、まだ世界でも発見されていないシーラカンスの稚魚を見つけること。「この魚の生態を知ることで、魚から陸上生物へと進化してきた生き物の歴史の鍵を掴むことができる」そう信じてひたむきに研究を続ける。
↑タンザニアにてROVを操作する山内さん。小さな船は揺れも激しく、常に船酔いとの戦いでもあるという
■たくさんの人にもっと海の世界を観て欲しい
 館内では「ふくしまの海」を担当し、地元の魚を展示したり、世界初となるサンマやメヒカリの飼育に携わっている。特にサンマの飼育は難しく、水槽にぶつかって驚いただけで死んでしまうというとてもデリケートな魚。苦心して育てた何百というサンマが、突然すべて死んでしまった時には大きなショックを受けたという。
 育てる喜びの裏には常に死が存在する。それがこの仕事に携わっている中で一番辛いこと。しかし、あくまでも「仕事」という事を頭に置きながら、命を失う悲しみを忘れないよう、その思いを大切にしている。
「水槽の中の魚たちは広い海で泳ぐことが出来ないから可愛そうですよね」という言葉に、「ここにいる魚たちは海の親善大使で水族館に来ていると思って下さい。海の中で僕たちはこんな風に泳いでいるんだよと紹介しに来てくれているんです」と答えてくれた。
 華やかな水族館の舞台裏では心から愛情を注ぎ、日々命と真剣に向き合っている人たちの姿がある。そんな温かい愛情に包まれている魚たちが初夏の陽射しを受け、水槽の中でキラキラと輝いて見えた。

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