Vol.202

ほろすけの会
HOROSUKENOKAI
「三人家族」
●4月22日
開演19:00
●4月23日
開演14:00/開演19:00
●いわき市文化センター
●前売券:一般1,200円、高校生以下800円
●ヤンヤン、T1ビル、ほろすけの会
ホ21-2978(古川)
http://www.horosuke.com/




スタッフキャストオーディションでは多くの応募があった







意欲的なメンバーとともに稽古は始まった


公演もせまるある日の稽古風景。メンバーが楽しんで演じている

市民からキャストを公募した
初のプロデュース公演

いわきにゆかりのある演劇人を全国からこの地に招き、演劇文化を広めてきた〈ほろすけの会〉。「今度は自分たちで舞台を一から作ってみよう」と立ち上がったのが昨年1月のことだった。それから1年。3月のとある日、稽古はいよいよ大詰めを迎えていた。

一人でも多くの市民に演劇に触れて欲しい
 
 〈ほろすけの会〉の発足は、12年前になる。「いわき出身の演劇人を支援する会」として、当時88名が集まった。以来、年に1回のペースで、いわき出身の演劇人を全国からこの地に呼んで、公演、勉強会、講演活動を企画してきた。記憶に新しいもので平成12年の第7回公演「新春いわき寄席・林家一門会」がある。林家とんでん平氏(いわき出身)をはじめ、林家こぶ平(現正蔵)氏も招き、大いに盛り上った。また、市内にあるアマチュア劇団を取りまとめ、公演を企画、サポートもするなど、広くいわきの演劇文化に貢献してきた。
 演劇というエンターテインメントは、基本的にマイクを必要としない。生の声で演じ、観客に直に伝えるため、コンディションの整ったホールが必要。そんな意見が出たのが、99年のことだった。さっそく市内の演劇団体にアンケートをとった。「古いホールのリニューアルを」「演劇練習のできる場所を」など具体的な意見が出され、その意見をまとめ、いわき市長に提出。この意見・提案書が、平成19年に誕生する文化交流施設(現平市民会館)の新ホール建築にも取り入れられることになった。

劇団のプロモートからプロデュースへ


 平成14年の第10回公演「声の引力・語りの魅力」を最後に、会本来の目的でもある招致公演をしていない。プロモートしたい公演に出会う機会が少なくなってきたというのも事実だ。
 「じゃあ、自分たちで公演したらどうだろうか?」昨年1月、会の例会でそれは発案された。反対するものはいなかった。たしかに他劇団をプロモートするという立場であっても、メンバーは、かつては演劇部だったり、純粋に演劇が好きな人間で形成されているからだ。
 「いわき出身の舞台人を傍らで見ていて、自分たちでも何かを創りたいという思いが、メンバーの心のどこかにあったのかもしれませんね」と会長の竹田さんが語る。
 話は早かった。6月にはスタッフ、キャストを一般公募し、7月にはオーディションを行った。キャストには多くの応募があったので、ダブルキャストになった役もある。演出には高校演劇で2度も全国1位に生徒を導いた児玉洋次氏が担当。キャストには未経験者をはじめ、さまざまな世代が集まってきた。実に楽しみな顔合わせである。
 そして9月、いよいよ稽古が始まった。
 



一つのステージを創る想いが結実
 
 地方のとあるお寺―。そこに住む3人の家族が寺の跡継ぎをめぐって繰り広げる人情劇「三人家族」。
 週に2回、市文化センターで稽古を積み重ねて半年。この日も児玉先生の鋭い眼差しと声がステージに飛ぶ。ピリッとした空気になった。同じ場面が幾度となく繰り返されたのち、やっと、児玉先生から笑いがもれた。
「いいよ、よくなった」
 彼の演出に妥協はない。自身のセオリーでもある「自然な笑いを誘う演出」がどのように表現されるか、4月22日、23日の公演が待たれるばかりだ。
 「演劇」という一つのキーワードを通して多くの人間が目の前に集まってきた。そして今、まさに一つになろうとしているのだ。(高木)


Interview

児玉 洋次さん●こだま ようじ
/秋田県角館市生まれ。大学卒業後、教職に就く。小名浜高校に在任していた37才の時、初めて演劇部の顧問となる。湯本高校在任の1995年、小名浜高校在任2002年全国演劇コンクール最優秀賞を受賞。演出のほか、脚本も執筆。2002年退職。

高校演劇界に一石を投じた児玉先生が演出
―この脚本は児玉先生が書いたものと聞きました
◆児玉先生◆湯本高校にいたとき惜しくも東北大会で2位となり、全国大会を逃してしまった時の作品です。「石原哲也」という名前はペンネームなんです。昔、石原裕次郎が大好きな映画少年でした。名前は渡哲也さんからもじったんです。

―もちろん先生も昔から演劇
をされていたんですよね?
◆いいえ。実は意外にも演劇はしたことがありませんでした。赴任中の高校でバスケ部からたまたま演劇部の顧問になったのがきっかけ。当時、その高校は県大会には進むものの東北大会に行くことができないでいました。「どこかの高校でも演じている脚本じゃ、ダメだ。オリジナルで行こう!」と私が脚本を考えたんです。周りからは「人情劇は高校生には向かない‥」など批判もありましたが、力をつけて、ついにに東北大会、そして全国1位となっていきました。楽しかったですよ。朝起きてから、寝るまで脚本のネタ探し。この「三人家族」は、元朝参りで行ったお寺をヒントに構想したものです。

―いよいよ公演ですが、皆さんにメッセージをお願いします
◆高校演劇とはまたひと味違った「大人のおもしろさ」も存分に味わえると思います。昔の村芝居、青年団の芝居のように、会場から声のかかるような、観客との間に垣根をつくらない芝居をお楽しみに。ぜひ、足を運んでみてください。


■バックナンバー
2004年6月号 いわきマジシャンズクラブ/鈴木清友さん
2004年7月号 明道賛家 コーヒー道師範/神場 明久さん
2004年10月号 川島工房/川島 力 さん
2004年11月号 いわき食介護研究会
2004年12月号 気鋭の料理人たち
2005年1月号 百席の会/古川隆 さん
2005年2月号 エディター/渡部サトさん
2005年3月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(前編)
2005年4月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(後編)

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