Vol.204

ジャズシンガー
本田 みどり
MIDORI HONDA
ほんだ みどり ● いわき市好間町生まれ。小学校でエレクトーン、中学校でピアノを習う。高校卒業後、国立音楽院専修科入学。卒業後家庭の事情でいわきへUターン。家事を手伝いながらピアノ講師を務める。26才の時、レコード会社主催のニューヨークツアーに参加したのをきっかけに、ジャズボーカルに目覚め、東京でレッスンを受ける。1996年より市内ライブハウス等で音楽・バンド活動を開始。現在は市内はもとより、東京、郡山、磯原など各地で活躍中。
2005年4月〈ミュージックオフィス Smile〉設立。
●ミュージックオフィスSmile 
好間町北好間字平場64-1 
電話080-5223-6993






〈ターフ〉でピアノを弾きながら歌う本田さん



ニューヨークにて。中央がホリーコール

「いわきジャズオーケストラ」のコンサート。ビッグバンドと一緒に歌うのはとても楽しいとか


〈NARU〉で5月28日に行われたライブのパンフレット

いつも身近に音楽があった。
本場のジャズとの出会いが
人生の転機となって…

平南町のジャズスポット〈ターフ〉。客席50名ほどの空間にジャズのスタンダードナンバーが響く。ピアノを弾きながら柔らかく、そして伸びやかに歌うその人こそ、本田みどりさんである。今年4月から〈ミュージックオフィスSmile〉を設立した彼女に、ジャズに対する思いを伺った。

音楽が身近にあった幼少
吹奏楽に没頭した学生時代

小さい頃からいつもそばに音楽があった。実家は1Fが食堂で2Fが住まい。夜になると、近所の人が集まりカラオケが始まる。大人たちの輪の中に入り、見よう見まねで歌を覚えた。歌うことが大好きで、なかでもピンクレディや山口百恵をよく歌っていた。小学5年生の時、地元デパートで開催されたのど自慢大会では「津軽海峡冬景色」を歌い、大人たちを驚かせた。
 中学校、高校を通して吹奏楽部に入部。音楽に明け暮れた学生時代を送った。その後、渋谷にある国立音楽院専修科に入学し、音楽全般について学んだ。在学中より学校からの派遣でピアノ講師をしていたのもつ
かの間、家庭の事情でいわきに戻ることを余儀なくされた。

NYで本場の音楽にふれ
ジャズシンガーを目指す

 いわきに戻った彼女は、家業を手伝う傍ら、音楽教室の契約社員としてピアノ講師を務めた。そんなある日、講師仲間と共に東芝EMIが企画するニューヨークツアーに参加することになった。4泊6日の駆け足のツアーだったが〈ブルーノート〉〈コットンクラブ〉〈ヴィレッジバンガード〉など世界の名だたるライブハウスを巡り、ホリーコールをはじめとするミュージシャンに直接会うこともできた。もともとジャズに興味はあったが、自分で演奏したり
歌ったりしたことはなかった。本場のジャズにふれ、魂が揺さぶられる思いがした。「自分も歌いたい」そんな思いを胸に帰国し、東京のスクールに通うことを決意。ボーカルは〈鈴木睦男Vocal School〉の鈴木守氏に、ピアノは、作曲家・アレンジャーのはじひろし氏に師事した。
特にピアノには苦心したという。
「スイングしなければJAZZじゃない」という言葉通り、ジャズにはスイング(躍動感)が大切な要素。思わず指をならしたくなるようなわくわくしたノリである。クラシックピアノを弾いてきた彼女にとって、レガート(なめらかに)に美しく弾くのが常だった。それをノンレガートにスイングして弾くのは根本からやり直すに匹敵した。1年間スクールに通った後、独学でジャズを自分のものにしていったそんなある日、平南町にある〈music in ジュエ〉でジャズライブを見る機会があった。お客さんの前で楽しそうに演奏する姿を見て、自分も人前で歌ってみたいと強く思った。そして知人などの紹介により、1996年から市内ライブハウスでの活動をスタートするのである。

東京のオーディションに合格
活動の幅も着々と広がって

 

 初めは最高に緊張したという。リハーサルで簡単な取り決めはしていても、実際演奏となるとノリ始めたら延々とソロが続くこともある。まわりを見ながら息を合わせないとどこからボーカルが入っていいのか、全くわからない。おまけにMC(曲間のトーク)が苦手。東京から呼んだ有名なアーティストの名前を間違って紹介したこともあった。
 そんなことも少しずつ乗り越え、国内外のアーティストが演奏することで知られる、赤坂のジャズライブスポット〈B flat〉のオーディションを2003年に受けた。見事優勝し、クリスマスを目前にした12月19日にこの店で歌うことが実現。翌年5月には、代々木の〈NARU〉で行われた第10回ボーカルオーディションに参加。51名のエントリーがあり、誰が選ばれてもおかしくはない程の実力者の中から、彼女が選ばれた。以来、コンスタントにこの店でのステージもこなしている。次回は8月17日ケの予定だ。
 いわきでも〈ターフ〉で第2金曜日を「みどりちゃんの日」としてご自身のバンドで出演している。また、今年4月、ミュージックオフィスを立ち上げ、ピアノ、ボーカル教室の他、結婚式場やイベントでの演奏など活動の幅を広げている。「今後は作詞や作曲、編曲にも積極的にチャレンジしていきたい」と抱負を語る彼女。
 遅咲きの花は今、開き始め、やがて大輪となって観衆を魅了してくれることだろう。(曽我)



■バックナンバー
2004年6月号 いわきマジシャンズクラブ/鈴木清友さん
2004年7月号 明道賛家 コーヒー道師範/神場 明久さん
2004年10月号 川島工房/川島 力 さん
2004年11月号 いわき食介護研究会
2004年12月号 気鋭の料理人たち
2005年1月号 百席の会/古川隆 さん
2005年2月号 エディター/渡部サトさん
2005年3月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(前編)
2005年4月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(後編)
2005年5月号 ほろすけの会/「三人家族」
2005年6月号 JKC公認A級ハンドラー/長岡 裕子

|top|