Vol.206

オペラ歌手(メゾソプラノ)
鈴木 幸江
すずき ゆきえ●昭和37年いわき市生まれ。6才でピアノを始める。磐城女子高校、国立音楽大学音楽部声楽科を卒業後、同大学院オペラ科を修了。同時に24才でイタリア、ミラノへ留学。その間にジャンピエーロ・マラスピーナ氏に認められ、演奏活動を開始。29才で初リサイタル。宗教音楽、ドイツリート、イタリア歌曲、オペラと幅広いレパートリーを持ち、ミラノ、ヴェネツィアを中心に演奏活動を続けている。


大学院の時のリサイタルより



草木台の生徒さん宅でのレッスン風景。木村美登里さんの自宅脇に併設されたホールで8月27日リサイタルを開くため、連日のように鈴木さんがレッスンをつけている

オーディション用のデモテープのジャケット写真

ミラノで活躍する
いわき出身のオペラ歌手
地元で世界を見せることが夢

 高い天井のホールにオペラが響く。
「そこはもっと慎重に。息を押し出す力に声をのせて!」ピアノの伴奏をしながら指導をする方こそ、鈴木幸江さんだ。現在、ミラノ在住のオペラ歌手。年に1回、日本に里帰りする時に何人かの生徒さんを教えている。
 レッスン後の鈴木さんにお話を伺った。

6才でピアノを習い始める
大学院卒業後、ミラノへ

 
幼少の頃から活発で、外でよく遊ぶ子どもだった。6才からピアノを習い始め、高校1年の時、合唱部に入部。将来は医者を目標としていたが、合唱を通じて歌うことの楽しさを知り、特に自分の声の特徴や質を大切にできる声楽に興味を持った。高校3年で進路を変更し、国立音楽大学に進学。大学院でオペラを学んだ後、オペラの本拠地でもあるミラノに留学する。今でこそ当たり前だが、当時留学する学生はまだ一握りしかいない時代。親とは2年間という約束だったが、あれから18年の歳月が流れた。
 大学では第2外国語でイタリア語を専攻、大学院では先生について勉強しただけに自信はあった。ところが空港に降り立った途端、何も話せない自分に愕然とした。まずはイタリア語の習得が必須と、週5回、半年間、語学学校に通いイタリア語を学び、個人レッスンもつけた。3年後、イタリア人と普通に何気なく会話ができるようにはなったが、本場の地で土地の人にほめてもらえる歌が歌えるようになるまで10年かかったという。

スカラ座のオーディションで
言われた言葉が原動力に

 
サロンや劇場で歌手として採用してもらうためには、オーディションで合格する必要がある。彼女もいくつかのオーディションを受けたが、そこでジャンピエーロ・マラスピーナ氏との運命的な出会いがあった。
彼は公爵家出身でイタリアでは有名なバリトン歌手。貴族たちが立ち上げた歴史のあるサロンで歌える歌手を探していた。そして、数日後、彼女はヨーロッパ一とも言われたサロンのステージに立っていた。金の調度品に囲まれ、イヴニングドレスやタキシードをまとった上流階級の人を目の前に、彼女は約15曲を披露した。
 「初舞台でしたが、緊張もせず自分としては満足できるステージでした。歌い終わったところまでは良かったのです。ソリストの私にたくさんの方が賞賛の言葉をかけて下さったのですが、私のイタリア語では全然ついていけず、とても恥ずかしい思いをしました」29才、心に残る初舞台だった。
 その後マラスピーナ氏の紹介で、スカラ座のオーディションを受けた。一般人、しかも日本人でスカラ座のオーディションを受けられる人は極まれだった。彼女はヴェルディのオテロの中から「柳の歌〜アヴェマリア」を歌った。歌い終えた彼女に副監督が言った言葉。「君、良く歌うんだけど、それじゃだめだね。それでは世界に通用しないよ」その言葉を聞いて息が止まる思いだった。い
くつものダメだしをされたが、気が動転して一つしか覚えていなかった。「息の波が不安定」ということ。しかし、副監督は「2カ月後にもう一度聞くから」とチャンスをくれた。それからはマラスピーナ氏がレッスンをつけてくれた。「ゼロからの出発どころかマイナス100からの出発です。自分がダメだと思わない限り、伸びないということをあとで実感しましたね」


33才で結婚、二児の母に
北イタリアを中心に活動
 
 2カ月後の再オーディションでは見事に合格。これを機に様々な劇場での公演はもちろん、教会やオーケストラでのソリストの仕事が次々と入り、北イタリアを中心としてミラノ、トリノやノバラなど演奏活動の幅を広げていった。生活も安定してきた33才に結婚。ご主人は内務省に勤務しているイタリア人で、現在4才と6才の男の子の母でもある。仕事は少しペースダウンをして、オペラの背景にある歴史などを勉強している。確実に相手に伝えるためにはイタリア語を正しく解釈することも重要だと考えるからだ。
 彼女を育ててくれたマラスピーナ氏は数年前に惜しくも他界された。現在はスカラ座の管弦楽団の指揮者、アレッサンド・フェラーリ氏と共に、日本での凱旋リサイタルを計画中とのこと。
 「いわきの方に本物のオペラを聴いてもらいたい。でも、ホールがありません。クラシック専用のホールがあれば、世界をいわきで見せてあげることができるのに」その受け皿として彼女は演奏家を招聘したり、企画プロデュースを目的のひとつとする会社〈エーデルタイム〉を興した。いつかいわきの地で、彼女の歌声が聴ける日を楽しみにしているのは、私ばかりではない。(曽我)



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2005年4月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(後編)
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2005年6月号 JKC公認A級ハンドラー/長岡 裕子
2005年7月号 ジャズシンガー/本田 みどり
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