Vol.208

歌手・クラブ経営
箱崎幸子
SACHIKO HAKOZAKI
はこざき さちこ ● 昭和25年 いわき市常磐生まれ。高校卒業後、(株)常磐興産に入社、18才で新聞社主催のミスいわきコンテストで優勝。その後、化粧品販売部員として転職、22才で歌手・箱崎晋一郎さんと結婚。一男二女をもうける。昭和63年、夫が肝臓癌で他界。平成6年亡夫の遺志を受け継ぎ『東京運河』を自費発売。プロ歌手として活動する傍ら、いわきに帰郷、平成17年2月〈歌のみせ 抱擁〉を開店。


死期が迫る夫と。幸子さんが一番お気に入りの写真


長女ルミさんとお店で。音響の良いカラオケを設置。30名までのグループも可能


■ラウンジ 抱擁
いわき市平田町19-6 
TEL 0246-24-5308 
open 19:00〜24:00 
close 日曜日


コマ劇場での公演も果たし、専業主婦だったとは思えない華麗なステージを見せた

ミスいわきの最終審査には30名が残り、見事栄冠を勝ち取った18才の頃




平成21年8月5日に新譜リリース
■タイトル:最後の抱擁
■アーティスト:箱崎幸子
■発売日:2009/8/5
■商品番号:TKCA-90337
 収録内容
 1.最後の抱擁
 2.愛の夜明け
 3.最後の抱擁 オリジナルカラオケ
 4.愛の夜明け オリジナルカラオケ

夫の遺志を継いで
専業主婦から歌手へ
そしていわきに店を開店

  「頬をよせあった あなたのにおいが 私の一番 好きなにおいよ」これはムード歌謡の定番曲「抱擁」の歌い出し。歌手・箱崎晋一郎さんのロングセラー曲であるが、その妻である幸子さんが、今年2月17日、鹿島町に〈抱擁〉という歌の店をオープンした。彼女の波瀾万丈の人生と今後の抱負を伺った。

渋谷のバーで偶然の出逢い
芸能人の妻となって
 
常磐炭坑の機械課で働く父の末っ子として生まれる。上4人はすべて男の子で、末の兄とは8つ離れており、たった一人の女の子として幼少から大切に育てられた。ピアノ、バレエを習っていた彼女は、炭住で暮らす子どもたちの中では特別な存在だった。身長163cm、美貌にも恵まれ、高校卒業後入社した(株)常磐興産でもひときわ目立つ存在。折しも行われた、福島民報社主催の「ミスいわきコンテスト」にも会社から推薦され、エントリーした。50万票の読者投票のうち9万5000票を獲得し、見事優勝。華々しい凱旋パレードの先頭に立った時から彼女の表舞台は始まっていた。
 21才、外資系の化粧品会社に転職。美容部員の研修を受けに行った時、運
命的な出逢いをする。東京・青山で行われた研修の後、兄が当時流行していた渋谷の「じゅうたんバー」に連れていってくれた。そこでは客が靴を脱ぎ、お酒を飲みながら語り合う。その時、偶然隣り合わせたのが箱崎晋一郎さんだったのだ。当時はデビュー曲『熱海の夜』のヒットが一段落し、精神的にもすさんでいた彼。幸子さんは名前もヒット曲も知らなかったが、「この人、悩んでる。何とかしてあげたい」と強く感じたという。以来、二人は交際を重ねていたが、幸子さんの両親は浮き沈みの激しい芸能人との結婚など当然反対。半ば家出状態でいわきを飛び出した。正式に結婚ができたのはその6年後。『抱擁』がヒットした昭和55年のことだった。

『東京運河』がヒット
43年の生涯を閉じる
 
しかし、幸せな時間はそう長くは続かなかった。「抱擁」のヒットも単発で、晋一郎さんには長い低迷の時期がやってきた。歌の営業で全国を回り、東京にいる間は取り巻きと共に酒を飲み歩く日々。家にいる時間はほとんどなかった。『抱擁』のリバイバルヒットで、一時的家計も楽になるものの、副業として始めたアクセサリー店が倒産。経済的にも追いつめられ、子どもたちの将来のことを考えると、気持ちは沈んだ。自律神経失調症と診断され、過呼吸症候群に苦しんだこともあった。
 晋一郎さんが40才になった時、新曲『東京運河』ができた。「この曲を最後にして、あとは会社に就職し、新人を育てるディレクターになる」と心に決めた。しかし、運命は非情である。晋一郎さんの身体は癌にむしばまれていたのだ。「すでに転移しています。もってあと3カ月でしょう」と医者から告知を受けた。
 『東京運河』は発売され、オリコンのチャートを47位まで上昇した。50位以
内に入れば、大ヒットである。しかし、昭和63年の夏、晋一郎さんは静かに息をひきとった。享年43才の短い生涯だった。「夫は『悔しい…』と言いながら死んでいきました。身体は無くなっても歌だけは死なせない。私が代われるものなら代わってあげて『東京運河』をヒットさせたい」と強く思った。

晋一郎さんの思い出と共に
〈抱擁〉を開店
 
今までカラオケで歌ったことすらなかった幸子さんだったが、広告代理店で働きながら、ボイストレーナーの大木恭敬氏に師事。週2回のレッスンを受けながら、平成6年、念願のCDを自主制作でリリースした。新宿のクラブで歌いながら働き、一人で営業先にも出向いた。やがて赤坂の一等地に「ラウンジ エンブレイス(抱擁)」を開店。徳光和夫さんをはじめ、生前に晋一郎さんと交流のあった人たちが訪れ、店はとても繁盛した。
 そして10年の月日が流れ、紅葉のいわきを訪れた。怒濤のように過ごしてきた半世紀を振り返り、そろそろ静かに暮らしたいと思ったという。
 今年2月17日、晋一郎さんの誕生日に「抱擁」を開店。「歌を愛する人たちにきてもらいたい」幸子さんはここからまた、新たな歩みを始める。晋一郎さんの思い出と共に…。(曽我)



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2004年7月号 明道賛家 コーヒー道師範/神場 明久さん
2004年10月号 川島工房/川島 力 さん
2004年11月号 いわき食介護研究会
2004年12月号 気鋭の料理人たち
2005年1月号 百席の会/古川隆 さん
2005年2月号 エディター/渡部サトさん
2005年3月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(前編)
2005年4月号 朝日サリー発行人 /曽我泉美(後編)
2005年5月号 ほろすけの会/「三人家族」
2005年6月号 JKC公認A級ハンドラー/長岡 裕子
2005年7月号 ジャズシンガー/本田 みどり
2005年8月号 四季のハーブを楽しむ会/カモミール
2005年9月号 オペラ歌手/鈴木幸江さん
2005年10月号 いわき街なかコンサートに携わる人々

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